私たちは「過剰労働」と聞くと、まず何を思い浮かべるでしょうか。
多くの人は、連日の残業、休日出勤、過労死ラインを超えるような「長時間労働」を想像するはずです。もちろん、それらは働く人の心身を蝕む深刻な「悪」であることに疑いはありません。
しかし、今日ここで問いかけたい「過剰労働」は、単なる労働時間や量の問題ではない。
私たちが直視すべき「過剰労働」とは、「本来、必要ないモノを、マーケティングによってあたかも必要だと思わせ、その必要ないモノを生産から営業、販売まで行う一連の行為」そのものではないでしょうか。
「必要ないモノ」を生み出すシステム

現代の市場経済は、常に「新しい需要」を生み出し続けることで成り立っています。企業が成長を続けるためには、昨日まで人々が「欲しい」とすら思わなかったモノを、今日「なくてはならない必需品」であるかのように見せかける必要があります。
ここで強力な力を発揮するのが「マーケティング」です。
巧みな広告は、私たちの潜在的な不安や劣等感、あるいは自己顕示欲を刺激します。
- これがないと時代遅れだ
- 他のみんなはもう持っている
- これを持つことで、あなたはより良い人間になれる
そうして生み出された「作られた需要」を満たすために、膨大なリソースが投入されます。企画、開発、原材料の調達、生産ラインの稼働、そしてそれを売るための営業と販売……。不要なモノを1つ作りだすだけでもどれほどのリソースが消費されているか、考えるだけでも恐ろしい。
これが、私が定義する「過剰労働」の正体です。
なぜ、それが「悪」なのか?
この「必要ないモノのための労働」は、非常に根深い「悪」をはらんでいます。
1. 地球資源の「過剰」な浪費

まず、それは地球環境に対する「悪」です。
本来必要のないモノを生産するために、有限な地球の資源(石油、鉱物、水、森林)が大量に消費されます。生産・輸送・そして最終的には「廃棄」される過程で、膨大なCO2とゴミを生み出し続けます。
私たちがもし「本当に必要なモノ」だけを生産し、大切に使っていたとしたら、気候変動やゴミ問題はここまで深刻化していたでしょうか。
2. 労働力の「過剰」な搾取
次に、それは働く人々に対する「悪」です。
「必要ないモノ」を売るためには、さらなる営業努力やマーケティング、つまり「過剰な労働」が求められます。人々は、その「必要ないモノ」を買うためのお金を稼ぐために、さらに長時間働かなければなりません。
そして何より、働く人々は、自分の貴重な人生の時間とエネルギーを、「社会にとって本当に必要なのかわからないモノ」のために捧げていることになります。
「誰かの役に立っている」という本質的なやりがいや実感は希薄になり、疲弊だけが蓄積していきます。長時間労働という物理的な問題は、この「過剰労働」システムを維持するために必然的に発生しているとも言えます。
3. 人々の精神を「過剰」に疲弊させる

最後に、それは社会全体、消費者である私たち自身への「悪」です。
私たちは、次から次へと提示される「新しい流行」「新しい必需品」の波に常にさらされ続けます。
「持っていないこと」への焦り。 「他人と自分を比較する」ストレス。
「必要ないモノ」に振り回され、それを手に入れるために働き、手に入れてもすぐに次の「欲しいモノ」が現れる。この無限ループは、私たちの精神を静かに、しかし確実に疲弊させていきます。
本当の豊かさとは何か?

私たちが取り組むべき「働き方改革」とは、単に残業時間を減らすことだけでしょうか。
それも重要ですが、本質的には、「何のために働くのか?」という問いを社会全体で問い直すことではないでしょうか。
「過剰労働は悪である」——。
この言葉は、私たちの社会が「必要ないモノ」のためにあまりにも多くのリソース(地球、労働力、時間)を浪費しすぎているという、痛切な警告なのです。
あなたの仕事は、あなたの消費は、本当に「必要なもの」ですか? 立ち止まって考えることが、この「過剰労働」という悪循環から抜け出す第一歩なのかもしれません。


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